こんにちは。ソフトウェアエンジニアの淵脇です。この記事は NIKKEI Advent Calendar 2021 7 日目の記事です。本日は日経のインターネットの歴史についてご説明したいと思います。
突然ですが皆さんが「インターネット」を利用し始めたのはいつ頃からでしょうか。デジタルネイティブ世代だと生まれたときからインターネットはそこにあったという方もいるでしょうし、また電話回線とモデムを用いて「ぴーがががが」という音とともに、夜 11 時から朝の 8 時まで使っていた、という方もいるかと思います。
ところで、日本経済新聞社は昔から技術的に新しいものが好きな文化があり、例えば世界初のオンラインー貫処理 新聞紙面製作システムなどをオイルショックが騒がれているような時代から手掛けていたりしました。この志向はインターネットについても例外ではなく、弊社ドメイン nikkei.co.jp
を whois 検索すると、1993 年 5 月という日本のインターネットの黎明期にはすでに自社ドメインを登録していたということがわかります。

インターネット黎明期は色々とカオスな時代であったため日経とインターネットの関わりについても何か興味深いネタがあるのではないかと、当時をよく知る日本経済新聞社 情報技術本部の一木宏行さんにお話を伺ったところ、とても面白い話を色々教えていただけました。そこで本日はその中でも 1990 年〜1995 年ごろまでの日本経済新聞社とインターネットの歴史についてご紹介したいと思います。
0. 時系列
# | 日付 | 出来事 |
---|---|---|
1 | 1990 年頃 | 社内の編集用システムである「PLES システム」のために米国 NIC に問い合わせ IP アドレスを入手。 |
2 | 1993 年 7 月 | UUCP 接続によるインターネット接続。nikkei.co.jp による E メールが可能になる。 |
3 | 1994 年 7 月 | サンデー日経のインターネットの解説記事にて、E メールによる意見募集を試行。 |
4 | 1994 年 8 月 | IP 接続によるインターネット接続。 |
5 | 1994 年 10 月 | IBM 製のワークステーション RS/6000 に1.5GB の HDDを接続し、UUCP によるニュースグループ受信開始。 |
6 | 1995 年 4 月 | NIKKEI-X のWWW サーバを立ち上げ。 |
7 | 1995 年 11 月 | 日経と ISP 間の回線速度が 128kbps になる。 |
1. 1990 年頃
1990 年頃、日本経済新聞社では社内の記事編集用システムのネットワークを構築するために使える技術の調査を行っていました。そのとき白羽の矢が立ったのがIP・インターネットプロトコルです。当時インターネットは企業や個人の間ではまだあまり認知度がないものでしたが、大学や研究機関などでは一般に使われていました。1990 年頃におけるネットワーク構築といえばIBMのSNAなどが一般的ではあったものの、TCP/IP の仕様も策定されて十数年たっており安定してきたなど、IPによるネットワーク構築もチャレンジングな選択肢としては検討できる状況だったようです。
なお、1990 年前後というとバブル景気の終盤であり、日経平均株価が 2021 年 11 月 15 日現在の史上最高値である 3 万 8915 円をつけた数カ月後には暴落するなど経済の動きの激しい時代でした。
当時はザラ場の証券取引もハンドサインで行うなど、企業の電子化はまだまだだった一方で、個人ではパソコン通信が盛り上がったり、国民機とまで言われたPC-9801シリーズが全盛期であり、640KB という広大なメモリ空間でゲームや仕事をしていた方も多かったようです。
そのような中、日本経済新聞社では社内のネットワークを IP で組むべく、米国 NIC に今でいうグローバル IP アドレスを申請したわけです。しかし、そうやって出来上がったネットワークはなんとインターネットからは隔離されたローカルネットワークとして運用していました。つまり、各マシンには NIC からもらった正式なグローバル IP アドレスが振られているのに、インターネットに出るゲートウェイがないような構成だったわけです。IP アドレスが貴重な時代となった今では少し驚きですね。
2. 1993 年 7 月
さて、IP アドレスの入手からしばらくたった後、ついに日経社内からインターネットに接続することになります。これを主導したのは日本経済新聞社 システム局運用部(当時)の吉本伸彦氏であり、当時の様子のインタビューが文化通信に載ったことがあります(文化通信 2014 年 11 月 7 日 ニュースの戦争 18)。
当時パソコンを持っていた方ならお気づきかなと思いますが、93 年頃のパソコン向け OS は Windows 3.1 や MS−DOS が大きなシェアを占めていた時代でした。この時代の OS はTCP/IP のプロトコルスタックすら標準ではなかった時代であり、インターネット接続も UNIX ワークステーションを用いるのが普通だったようです。
そこで吉本氏は会社の電話線を 1 本拝借し、ソニーの UNIX ワークステーションから日本初の商用インターネットサービスプロバイダSPINにUUCPというプロトコルでダイヤルアップ接続を果たすことになりました。UUCP とはまだ常時接続が高価だった時代に、送信したいパケットをキューイングし、ネットワークに接続されたらキューに溜まっているパケットをリモートに送信するコマンドです。今でも macOS や Linux でそのコマンドの生存を確認することは可能です。
[fuchiwaki@MacBook-Air] ~ % uucp
Usage: uucp [options] file1 [file2 ...] dest
Use uucp --help for help
[fuchiwaki@MacBook-Air] ~ %
常時接続の今ではあまり用途の少ないコマンドにみえますね。ただ、当時パソコンユーザーの間で流行っていたパソコン通信にも BBS の記事をダウンロードしておき接続されたら投稿するなど似たような機能をもっているクライアントが結構ありました。当時は個人も会社も安価なダイヤルアップを使いこなすために色々工夫していたようです。
ちなみに、その SPIN の UUCP 接続インターネットの接続料金は月 5400 円で累計接続時間 180 分まで、というものだったそうです。そのため「5000 円ぐらいなんとかしてくれるやろ」と思って会社に申請したら断られて結局吉本氏のポケットマネーでやっていたという笑い話もあったとか。
3. 1994 年 7 月
この頃から日本でもインターネットの情報は新聞や雑誌などではよく取り上げられてたように思います。ですが個人で簡単にインターネットを使えるようになるためには、TCP/IP プロトコルスタックを標準装備したパソコン向け OS である Windows 95 の登場まで待たなければなりませんでした。そのためこの時期にインターネットを使っているユーザーは主に大学の研究室や企業などで限られた人たちだけだったようです。そんな「インターネットはどうやらすごいらしい、でも使う環境がない…」というもやもやした雰囲気の中、日本経済新聞でもサンデー日経にてインターネットの解説記事を掲載しました。その中で記者が自身の nikkei.co.jp
メールアドレスを公表し意見を求める、という企画を行いました。
このとき記者は送られてくるメールを自席のパソコンから日経社内の UNIX マシンにダイヤルアップ接続し、その PC 上のターミナルからEmacs 上で受信して読んでいたそうです。

4. 1994 年 8 月
94 年 10 月についに日経とインターネットサービスプロバイダ間の通信が 14.4kbps という回線速度の IP 接続になりました。当時モデムを使っていた人からすると、2400bps,9600bps, 14400bps といった通信速度には聞き覚えがあるのではないでしょうか。使っていたモデムは Telebit T3000 という機種でした。
5. 1994 年 10 月
初期のインターネットといえば忘れてならないのはニュースグループです。fjという単語を覚えてる方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。日経においてもついにニュースグループの受信を開始します。そのために用意した HDD は1.5GB。94 年頃のパソコンといえば最新機種でも大体200MB程度の HDD を積んだマシンが主流だったため、当時としてはかなり大容量の HDD を IBM 製ワークステーションにつなげニュースグループの受信を開始しました。
6. 1995 年 4 月
そして 95 年 4 月、NIKKEI-X という WWW をオープンしました。これが今の日経電子版につながっていくわけです。当時の NIKKEI-NET の最初期の画面はこのような感じでした。

95 年 4 月の時点で WWW が見られるブラウザといえば一番最初のウェブブラウザであるMozaic や Netscapeでした。このあとすぐInternet Explorerが出てきて、Netscape vs Internet Explorer という第一次ブラウザ戦争が始まるわけですが、このときの勝者であったInternet Explorerも、この前マイクロソフトからサポート終了の案内が出たのは感慨深いところです。
7. 1995 年 11 月
95 年を象徴する IT 史上の出来事といえば、11 月のWindows 95の発売でしょう。
実は Windows 95 はインターネットの普及にもかなり重要な役割を果たしています。それは前述しましたが Windows に初めて TCP/IP プロトコルスタックが付属したという点です。厳密には同時発売であった Microsoft Plus! for Windows 95 を購入することでインストールされるものでしたが、それでもパソコンのデファクト OS になっていた Windows 上で TCP/IP が気軽に使えるようになっていたのは非常に大きかったようです。
そのような背景もありインターネット接続人口が爆発的に増えたため、日本経済新聞社のインターネットも 95 年 11 月には128kbpsに、そして 96 年 2 月には1.5Mbpsにどんどん増強していきました。それに伴いウェブサイトの重要性が認知されはじめると、黎明期の簡素なウェブサイトもどんどんリッチなものになっていきました。96 年ごろの日経のサイトは今でもWayback Machine - nikkei.co.jpで閲覧可能です。
すでにこの頃から現代でもよく見る 2 カラム構成のウェブデザインになっているのはなかなかすごいなと思います。
8. 終わりに
本記事は NIKKEI Advent Calendar 2021 7 日目の記事として、日経のインターネットの歴史についてご紹介させていただきました。実は 1996 年以降も面白い話は色々存在するのですが、それはまた機会があるときに記事にしようと思います。
テクノロジーメディアを目指す日本経済新聞社では、1990 年から 2021 年に至るまで最新のインターネット技術を追い求めてきました。2022 年以降も引き続き技術革新を続けていきたいと思いますので、一緒にメディアの未来を作る仕事に興味のある方は、ぜひお気軽にご連絡ください。
明日は 8 日目、又吉さんによる「React から Elasticsearch 構築まで情報サービスユニット新卒 1 年目の業務」です。お楽しみに!